「たまる」の製作完結編

IMG_0884 IMG_0885 IMG_0886 IMG_0887 IMG_0888「たまる」は親父の船です。長さ18m、40トン程の荷物運搬船です。周防大島の中央桟橋から広島市本川の住吉橋近くの荷揚げ場までを行き来していました。片道6時間ほどだったと記憶しています。主にビールや飼料を運んでいました。小さい時は船で寝泊まりしていました。仕事で目が離せない時は海に落ちないようにロープで結わえられていたことも覚えています。あと焼玉エンジンの音がすごく大きかった記憶があります。このエンジンは 後に久保田のディーゼルに載せ替え、親父が自慢げだった事を思い出しました。この船は50年ほど前に、トラック運送に転向したとき手離しました。少しさみしかったですが、親父は祖父の代からからの船男だったのでひとしおだったと思います。

製作を始めて2週間、進水の時がきました。今までのDIY生活で最長です。プロ用アロンアルファに本当にお世話になりました。塗装は30年前に買っておいた、タミヤ模型のアクリルラッカーで仕上げました。保管状態が良かった?か問題なしです。ただ塗りが下手なので何度も重ねぬりした結果、使い込んだ船の風情に近ずいた様な気がしています。色目も出来るだけ再現しています。屋根の黒は実際防水タールの仕上げでした。荷室の屋根板も片側25枚でこれも実際そんな枚数だったと思います。雨の日はこの上を緑色のシートで覆いました。

荷揚げはエンジン付きのウインチでしたが、デレックは陸にいる人がロープで回動させ、戻しは船側から同じく人力で引っ張りました。

航行灯は左が緑で右が赤です。操舵室の窓枠も無垢の仕上げでアクセントになっていました。ハッチは全部で3箇所、ウインチ横の物置への入り口、操舵室横のエンジンルームへの降り口、船尾の居室入り口です。この後ろには伝馬船が吊ってあります。伝馬船は櫂で漕ぎます。自分で操れる様になった時は嬉しかったし釣りに使ったりしました。

あれこれ思い出しながらの楽しい時間でした。実際の進水式の写真と比べると雰囲気は出ていると自我自賛しています。^

6 thoughts on “「たまる」の製作完結編”

  1. よくやりました、すごい。こういうことができることに対し羨ましい限りです。少し気になりますが、現在航行灯は、進行方向に向いて左が赤です、これは航空機も同様です。かつては逆だったのでしょうか。

    1. 航行灯は進行方向に向かい左が赤で制作しました。ながめながら文を書いたので向きが逆になりました。

  2. いやいやなんとも立派な「たまる」の進水ですね。
    ご自身も乗った記憶が鮮明に残っている様子、立派に蘇って良かったですね。
    タミヤの塗料が30年ぶりに役だったとはこちらも驚きです。
    後部に吊るされた伝馬船、戦艦大和の後部に積まれた零式水上偵察機を連想しました。

    1. 飲みながら作業したところにズレなどありますがそれも味ですな。船は思いがないと作れませんのでこれ1漕になりそうです。

  3. 木工が得意なら次は博多曲物(まげもの)はどうでしょう、京都に次いで寺が多く寺建築の廃材でお櫃、弁当箱などかつては駅弁の容器もそうでした。現在では柴田徳五郎さん一人しかこの技術を継いでいる方はいません。熱湯に材料を浸し曲げて制作するものです。昨年この方の作業場で実演とお話しを聴く機会がありました。興味があるのなら資料、現物を送ります。

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